神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)1317号 判決 1987年5月27日
甲事件原告
前田照子
同
前田英喜
同
前田為次郎
右両名法定代理人親権者母
前田照子
右甲事件原告ら訴訟代理人弁護士
松井隆雄
甲事件被告
東京海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
竹田晴夫
右甲事件被告訴訟代理人弁護士
針間禎男
中垣一二三
藤本裕司
乙事件原告
大賽工業株式会社
右代表者代表取締役
田上剛
右乙事件原告訴訟代理人弁護士
小川真澄
乙事件被告
三井生命保険相互会社
右代表者代表取締役
田島考寛
右乙事件被告訴訟代理人弁護士
五十嵐公靖
箕輪正美
渡辺孝
藤井伊久雄
主文
一 甲事件原告ら、乙事件原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は甲事件原告ら、乙事件原告の各負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 甲事件原告ら
1 甲事件被告は、甲事件原告前田照子に対し、金九五〇万円、甲事件原告前田英喜、同前田為次郎に対し、各々金四七五万円及び右各金員に対する昭和六〇年二月一日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は甲事件被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 甲事件被告
主文同旨
三 乙事件原告
1 乙事件被告は、乙事件原告に対し、金一億六五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月五日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は乙事件被告の負担とする。
3 仮執行宣言
四 乙事件被告
主文同旨
第二 当事者の主張
一 甲事件の請求原因
1 訴外共立工業株式会社(代表取締役前田稔、現在は商号を大賽工業株式会社に変更している)は、昭和五九年七月六日甲事件被告東京海上火災保険株式会社(以下単に被告東京海上という)との間に共立工業株式会社が所有し、自己の運行に用い供する自家用自動車(車種 自家用普通乗用車、登録番号 神戸三三タ九五〇九、以下本件自動車という)につき、次のとおりの自家用自動車保険契約を締結し、同日被告東京海上に対し保険料を支払った。
① 保険期間 昭和五九年七月六日から昭和六〇年七月六日まで
② 対人賠償保険金額(一名) 金一〇〇〇万円
③ 自損事故保険金額(一名) 金一四〇〇万円
④ 搭乗者傷害保険金額(一名) 金五〇〇万円
⑤ 保険料 合計金一六万二八五〇円
2 被保険者訴外前田稔(以下前田稔という)は次の交通事故(自損事故)により死亡した。
① 発生時 昭和六〇年一月一七日ごろ
② 発生地 神戸市長田区苅藻通七丁目一番地
③ 事故車 本件自動車
④ 運転者 前田 稔
⑤ 事故の態様
前記発生地を前田稔が本件自動車を運転し進行中、折り返ししようとして、ハンドル操作を誤り苅藻運河内に墜落したものである。
3 原告前田照子は前田稔の妻、原告前田英喜、同前田為次郎は前田稔の子である。
4 被告東京海上は、前田稔の相続人である原告らに対し、自損事故保険金一四〇〇万円、搭乗者傷害保険金五〇〇万円合計一九〇〇万円の支払い義務がある。
よつて、右保険契約により被告東京海上に対し、原告前田照子は二分の一の相続分である金九五〇万円、原告前田英喜、同前田為次郎は各四分の一の相続分である各四七五万円の支払いと被保険者の死亡後の昭和六〇年二月一日から支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 甲事件の請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。但し、②対人賠償保険金額は一億円である。
2 請求原因2の事実のうち、その主張の年月日ころその主張の場所において前田稔が死亡した事実は認める。
事故の態様は否認する。
3 請求原因3の事実は不知。
4 請求原因4は争う。
三 甲事件の抗弁
訴外前田稔の死亡は自殺である。したがつて、自損事故保険については自家用自動車保険普通保険約款第二章自損事故条項三条一項四号、搭乗者傷害保険については同約款第四章搭乗者傷害条項二条一項四号に各該当し、被告東京海上には本件保険金の支払い義務はない。
四 甲事件の抗弁に対する認否
否認する。
五 乙事件の請求原因
1 乙事件原告(以下単に原告という)の商号変更前の共立工業株式会社は、乙事件被告三井生命保険相互会社(以下単に被告三井生命という)と別紙三井生命との保険契約記載のとおりの五つの生命保険契約を締結した。
2 右別紙生命保険契約の被保険者である前田稔は、甲事件請求原因一の2記載の事故により死亡した。
3 前田稔の死亡は災害死亡であるから、原告は別紙保険契約に基づき保険金を被告三井生命に請求したところ、同会社は原告に対し普通死亡の場合の保険金を支払つたのみで、その余の保険金の支払を拒絶した。
その詳細は以下のとおりである。
① 第一契約
請求金額 三〇〇〇万円
支払金額 一五〇〇万円
未払残額 一五〇〇万円
② 第二契約
請求金額 八〇〇〇万円
支払金額 四〇〇〇万円
未払残額 四〇〇〇万円
③ 第三契約
請求金額 一億円
支払金額 五〇〇〇万円
未払残額 五〇〇〇万円
④ 第四契約
請求金額 五〇〇〇万円
支払金額 なし
未払残額 五〇〇〇万円
⑤ 第五契約
請求金額 一〇〇〇万円
支払金額 なし
未払残額 一〇〇〇万円
4 共立工業株式会社は、昭和六〇年六月一九日原告に商号変更した。
よつて、被告三井生命は、原告に対し、別紙保険契約に基づき、未払保険金一億六五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月五日から支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
六 乙事件の請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2の事実のうち、その主張の年月日ころ主張場所において前田稔が死亡した事実は認める。
事故の態様は否認する。
3 請求原因3は争う。
七 乙事件の抗弁
被保険者である前田稔の死亡は自殺である。したがつて第四、第五契約については、約款規定により責任開始日から起算して一年内の自殺として、保険金支払は免責される。
八 乙事件の抗弁に対する認否
否認する。
第三 証拠<省略>
理由
第一甲事件について
一請求原因1の事実および被保険者である前田稔が昭和六〇年一月一七日ごろ神戸市長田区苅藻通七丁目一番地において死亡したことは、当事者間に争いがない。
二そこで、前田稔の右死亡が自殺によるものか事故によるものかを検討する。
1 前田稔の死亡前における状況
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 共立工業株式会社は、前田稔の亡父前田為雄が昭和二三年六月二八日電気設備工事、設計施工を目的として設立した会社であり、右為雄が昭和四五年に死亡後、二男である前田稔が右経営を引き継ぎ、同会社の代表取締役に就任した。
(二) 前田稔が右就任後、同会社は、昭和五六年に完成した本社ビルの建設費用に約一億円を要し、その資金をすべて借入金でまかなつたことや、そのころから営業成績が不良となり、資金操作の失敗等のため経営が悪化の一途を辿り、昭和六〇年一月ごろには、資産額が二億円であるのに対し、負債額が五億二四三二万円余に達した。
右当時の同会社の従業員総数は一四名であつた。
ちなみに、前田稔死亡後のことではあるが、その生前同人から委任を受けた弁護士小川真澄は、昭和六〇年二月一六日神戸地方裁判所に対し、共立工業株式会社を申立人とする和議手続開始の申立をしており、この申立は同年三月二三日右申立を取下げている。
(三) 一方、前田稔は、昭和五五年七月二三日から同六〇年一月一日までの間、別紙生命保険一覧表記載のとおり、被保険者をすべて自己とする生命保険一三口をかけている。
同六〇年一月一日当時の右生命保険一三口の保険料月額合計は六四万八五八四円、保険金額合計は災害の場合、普通保険額を含めて七億三五〇〇万円、普通の場合、一億一〇〇〇万円である。
(四) また前田稔は、昭和五九年一一月二七日から同六〇年一月七日まで神戸市立中央市民病院で狭心症、糖尿病の診断を受けて同病院に通院治療を受け、同病院に対して、同月二一日外来予約をしていた。
(五) 前田稔は、昭和六〇年一月一七日朝いつものとおり共立工業株式会社に出社し、同日午後六時ごろ一旦自宅に帰り、妻照子に対し「三田の方へ仕事に行つてくる」と言つて、出社時の服装のまま、同日午後六時半ごろ本件自動車に乗つて外出し、以後家人に対し連絡をしていない。当時稔の家族構成は妻と高校一年生、中学二年生の子供二人がいた。
妻照子は、同月二二日午後〇時ごろ長田警察署に対し、家出人捜索願いをした。
右願いの書面(乙A第七号証の二)の補充事項欄には「経営が思わしくなく、人員整理するなど話していた」との記載がある。
前記(一)ないし(五)の各認定事実を総合すれば、前田稔は、亡父の事業を受け継いだ共立工業株式会社の経営が昭和五六年ごろから不振となり、同六〇年一月ごろには負債額が五億余円に達するほど苦境に陥つていたこと、同人はそのころ別紙一覧表のとおり一三口もの生命保険をかけ、その時期が同五九年一二月一四日以降二〇日足らずの間に四口もの保険を次々とかけ、保険料月額六四万八五八四円、保険金額合計は普通の場合でも一億一〇〇〇万円となること、しかも同人はその当時狭心症等のため通院治療を受け、精神的、肉体的にも苦しんでいたこと、同人は昭和六〇年一月一七日午後六時半ごろ妻照子に対し「三田に行く」と言つて外出した後、家人に対して連絡を絶えたことが明らかであり、それらによれば、前田稔には、自殺の動機があつたものと認めるのが相当である。
2 前田稔の死亡当時における状況
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) ヤマミ海運有限会社所属「ふじ三号」船の船長金子良道は、昭和六〇年五月一三日午前八時ごろ、神戸市長田区苅藻通七丁目一番地先、苅藻運河(幅員約六〇メートル、水深約三または四メートル)の北岸に前夜から碇泊中の同船を出港するため錨を上げた際(同運河北側岸壁から約二〇メートル離れた地点)、本件自動車を発見し、その後、本件自動車内に遺体のあることを知つて、海上保安庁に通報した。
(二) 本件自動車が発見された場所及びその付近の状況は、別紙図面記載のとおりである。
苅藻運河北側岸壁は、苅藻橋の北詰めを西に入つた岸壁であつて、この岸壁は、南北幅約一二メートル、南西幅約一二〇メートル、西端は行き止まりになつている。
同岸壁は、中ほどに「兵庫運輸倉庫」の倉庫があるだけで、そのほかに会社はなく、また、近隣に勤務する関係者以外出入りする場所ではないが、昼間は、同岸壁に沿つて多数の自動車が常時駐車しており、同駐車の少ない夜間は、付近工場の照明灯によつて明るい。
その対岸である南側岸壁は高さ約六〇センチメートルの防潮堤が構築されていて、自動車が運河に転落するような場所ではない。
(三) 前田稔の遺体が発見された当時、頭部と顔面部がすでに白骨化し、姿勢は仰向けの状態で足を運転席側に、頭部を後部座席に向けていた。
同人には外傷がなく、服装は、前記外出の際のままであつて損傷もなく、所持金は九万一〇〇〇円であつた。
本件自動車の前部ナンバープレートが外されてあり、車体の右側、後部が大きく凹んでいた。
また、本件自動車は四ドアでドアロックされ、エンジンはオン、チェンジレバーはエヌの各位置にあり、運転席ドアおよび助手席後部ドアのガラスが開いていた。そして前田稔はシートベルトをしていなかった。
運転席のペタル付近には、ナイロン袋に入つた山芋が落ちていた。遺書はなかつた。
(四) 兵庫県保健環境部医務課医務係監察医羽竹勝彦は、昭和六〇年五月一三日前田稔の死体を検案し、同人の直接死因は漏死、死亡日時は同年一月ごろと推定したうえ、「その死亡の間接原因は、白骨、ミイラ化しているため自殺と断定できないが、自殺であると考えても、死体検案上矛盾が生じない」と証言している。
また、兵庫県神戸水上警察署は、前田稔が経営する共立工業株式会社の経営内容、家出した前後の行動、死体の状況、発見場所の状況等から、同人の死因は自殺であると推定している。
(五) さらに前田照子は、その本人尋問において、稔は「苅藻橋付近にある株式会社信実組の重役と知り合いであつたから、生前、苅藻橋付近の状況をよく知つていたものと思う」との供述をしている。
以上(一)ないし(五)の各認定事実によれば、次のとおり判断することができる。
(1) 前田稔の遺体には外傷がなく、所持金が九万一〇〇〇円もあつたから、同人の死因は他殺によるものとは考えにくい。(2) 苅藻運河南側岸壁には、高さ約六〇センチメートルの防潮堤が構築されているから、本件自動車の転落場所は、同運河北側岸壁である。(2) 同運河北側岸壁は昼間、常時多数の自動車が駐車し、人の出入りもあつて、その時間帯に自動車が運河に転落すれば、誰かがすぐ発見したであろうから、本件自動車の転落時間は人通りのない早朝または深夜である。(4) 苅藻運河北側岸壁は、苅藻橋の北詰め西に入り、その西端が行き止まりになつており、夜間、付近工場の照明灯によつて明るかつたし、また、前田稔は生前同所付近の状況を知つていたものと思われるから、同人は、道に迷つたり、居眠り、酩酊して同岸壁まで本件自動車を運転して進入してきたものとは考えられない。(5) 本件自動車の引き揚げ場所は、前記北側岸壁から約二〇メートルの地点であるから、苅藻運河の水深約三、四メートル、本件自動車の重量等からすれば、潮流、往来する船舶との接触等を考えても、本件自動車の沈没地点は同岸壁から十数メートル離れたところであつたと思われる。したがつて、前田稔は、同岸壁から転落前かなりの速度を出して本件自動車を運転していたものであり、右現場の前記照明度からすると、覚悟の上の転落のように推定される。(6) 本件自動車は、その転落発見時、ドアがすべてロックされていたが、運転席ドア及び助手席後部ドアのガラスはいずれも開いていたから、前田稔は水没後も右開いている窓から車外へ脱出しようとする気があつたなら、前記水深上、それが可能であつたのにかかわらず、同人は車外へ出ていない。(7) 監察医羽竹勝彦は、前田稔の死因が自殺であると考えても、死体検案上矛盾が生じないと証言している。
3 1、2との総合考察
以上2の(1)ないし(7)の諸点に、そのほかの前記2の(一)ないし(五)の各認定事実に表われた諸事実及び前記1に認定した、前田稔には自殺する動機があつたとの事実をあわせ考察すれば、同人の死因は自殺によるものと推認するのが相当である。
4 右推認に反する証拠の有無
前記3項掲記の諸事実からすれば、前田稔は、本件自動車の運転を誤つて、苅藻運河北側岸壁から十数メートル離れた地点まで転落したものとは考えられない。本件自動車には、その引き揚げ時、車体の右側、後部が大きく凹んでいた損傷があつたものであるが、右損傷は、転落後、引き掲げられるまでの約四か月間、前記運河を往来する船舶との接触によつて生じたとの可能性があるし、前田稔が遺書を残していなかつたとの点についても、<証拠>によれば、統計上、自殺者中、遺書を残した者は、全体の二九・六パーセントにしか過ぎないことが認められ、この事実に前田稔は生前多数の生命保険をかけていた事実を思い合せれば、同人が遺書を残していなかつたからといつて、自殺であるとの前記推定をくつがえすことはできない。また、同人には妻、子供二人があり、引き揚げた本件自動車の中に山芋あつたこと前記認定のとおりであるが、前田稔が入水前、妻子のため右山芋を買つていたとしても、入水前、自殺者の心は千々に乱れているものであり、右一事をもつて、前記推定を動かすことはできない。
ほかに、前田稔の死因は自殺であるとの前記推定をくつがえすに足る証拠はない。
三弁論の全趣旨によれば、共立工業株式会社(後に大賽工業株式会社と商号変更)と被告東京海上との間に締結した、自家用自動車保険普通保険約款第二章自損事故条項三条一項四号、同約款第四章搭乗者傷害条項二条一項四号には、いずれも被保険者の自殺行為をもつて免責事由としていることが認められ、本件自家用自動車保険契約の被保険者である前田稔は、前認定のとおり自殺であるから、同被告には、原告ら主張の保険金を支払う義務がないものといわなければならない。
よつて、原告らの本訴請求は理由がない。
第二乙事件について
一請求原因1の事実及び被保険者である前田稔が昭和六〇年一月一七日ごろ神戸市長田区苅藻通七丁目一番地において死亡したことは当事者間に争いがない。
二前田稔の右死亡が自殺によるものと認定すべきこと甲事件において説示したとおりである。
三<証拠>を総合すれば、第一ないし第三契約については、被保険者が不慮の事故を直接の原因として死亡したときは、普通死亡の保険額と同額を加算して支払う旨(したがつて、普通死亡の保険金が支払われている本件の場合、第一契約が一五〇〇万円、第二契約は四〇〇〇万円、第三契約が五〇〇〇万円となる)、第四、第五契約については、責任開始の日から起算して一年以内の被保険者の自殺の場合は保険金を支払わない旨それぞれ定められていることが認められる。
前項の認定事実によれば、前田稔の死亡は、自殺であつて不慮の事故によるものでないから、被告三井生命は、第一ないし第三契約の保険金を支払う義務がなく、また、第四、五契約の保険金についても、その契約日から一年以内に前田稔が自殺したものであるから、同被告に支払う義務がない。
よつて、原告の被告三井生命に対する請求は理由がない。
第三結び
以上の次第で、甲事件原告ら、乙事件原告の請求は理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官広岡 保)